50代の日常

半世紀生きてるオバサン

スピ系

前の続きのようなそうでないような。

実は、今年とあるPTAの役についてしまって、そこからクジ引きでまた別の役になるという貧乏クジを引いて栄誉をいただいてしまった。

PTAについては愚痴しか出て来ないので、長々と打ったけど私自身が不愉快になるのでやめておく。
残りの期間、粛々と勤めさせていただく所存ではあるが、長女、次女の小中学とそれなりに参加して来て思う事だけ。

バザーくらいにして後はインターネット上で連絡を取り合い、web上で公開あるいは内輪で閲覧すればいいようなものがかなり多い。実際にPTAの役割を細分化してネットで募集したらあっという間に埋まった、小さな事、一日だけで終わる事だったらむしろ子供の学校活動に参加したいと思っている親はたくさんいるのだ、という記事を見かけた。

まあ、それはそれで毎年埋まるのかどうか、実際に一切の根回しがなかったのかとつい疑いの目をかけてしまうところもあったりして、ノープロブレムというわけには行かないとは思う。

ともかく、要は私がそういうものをスルーするよりも、実は好奇心が上回ってつい手を上げてしまったのが悪かった。手を上げた分ならそれなりに全うする覚悟はあったのだが、その貧乏クジで引いた役までやるキャパシティがなかった。

そんなわけで、問題を先送りにし、夏休みを見ないようにして過ごし、学校が始まって活動開始という時になったら、信じられないくらい精神的にダメージが来ていて(と言うのは、実は今までにそんな自分を客観的に見ている自分がいるのだが、割とどうも出来ない事が多い)、朝目覚めると「ああ、また今日も一日が始まるのか…いやだ」と思っていた。まあ、小学校の頃からそんな人生ではあった。

しかも、私は自営業の手伝いなので喋ってうさを晴らせるおばちゃん同僚もいない。連絡を取れば愚痴語りに付き合ってくれそうな人はいなくはないが、パニック持ちだと「予定を決めて、予約して、キャンセルすることなくそこに到着する」ということが、大変なプレッシャーになる。

とは、今は実はそこからちょっと抜け出しているから言える事で、自分でも「たかがこんな事に、バカか」と思ってはいるのだが、「でもやっぱり自信がない、絶対当日具合が悪くなる、そして私はもうやっぱり駄目な人間なんだ」という、どうしようもないループにハマって更にメンタル下降して行ってしまうのだ。

と、打ってみると大袈裟過ぎて笑ってしまうのだが、多分メンヘラって皆こんな感じだと思っている。過去に述べたかどうだかだけど、私はメンヘラなんかじゃない!と否定し続けて結局40代半ばで心療内科通いになり、ひと頃は多種の抗うつ剤に縋って仕事も中断せざるを得ない状況だった。パニック発作だったんですけどね。治療はうつ病と変わらなかったと言う。

乗り物にさえ乗らなければ、なまじ普通に生活出来たため今度は子供の関係でコミュニティに入らざるを得なくなり、それがもう毎週末車で移動があったり、単に乗り物酔いしやすいとしか理解してもらえず、ようやく復帰出来そうになったら今度は老齢に突入しているという有様で。

夫にも、「不安なんてものは自分が作り出しているものだから」とか言われても、そんなこたわかっているのである。忘れるか、無視するかしても、私の脳の記憶には実際に出来なかった、無理して倒れた、電車に乗れなかった、疼痛障害が出て無限に歯医者に通いそうになった…という過去ががっしり刻まれていて、いよいよそのPTAの活動開始、となった時に軽くパニックに陥って思ったのが

「私、無事に年越せる気がしない」

だった。

繰り返すが、今は全部解消されているわけではないが、だいぶ軽い。
前の日記で書いたNLP系の本やら、ネット記事やら、ポッドキャスティングを聞いたりしているうちに、暗示で押さえつけるのではなくて

「まあ、役に立てなくてもしょうがないし、そこまで期待もされてないよ」

と、開き直り気分になった。
そういう役を引き受ける以上、学校の役にたたなくては!と、なんかク□真面目だったなぁ、と思った。思えば大抵の事は変に真面目になり過ぎて、しかしそういう度量のある人間ではないので、満足に出来ないと自虐に奔っていたのだろうと思う。要するに空回りってやつ。

NLP系の方はやっぱり、今後は図書館とかで色々な人のを読みに行こうかと思っている。快い言葉をくれる人はそれはそれで能力があると思う。パニック解消の本でも繰り返し、「脳のエラー」「考え方の癖」「育成歴や経験のつらい話」が原因なので、今のあなたはそれらの責任を取る必要はない、と書いてある。

そこから本来の自分を見つける、他の集中出来ることを見つける、あるいは目をそらす、全力で逃げる、と様々なジャンルでいろんな事が書いてあるが、要は何でもいいらしい。逆に、思考ループや過去を忘れて自分だけの人生を生きる、という事がいかに難しいかという事ではあるんだろうと思う。

結局、私は困った時はやっぱり本屋や図書館で、本が答えを導いてくれる事が多いが、それもよく言われるように、私の中に答えはもうあるんだけど、覚悟がついていなかったり、思っていた事が言語化されている他人の文章を見て、間接的に「こうなんだよ」と言ってくれるのを見て、勝手に一人で思っている事ではないんだ、と安心したいんだろうと思う。

とかつらつら考えていると、80年代頃から発生して脈々と続いている「スピリチュアル系」の事を思い出す。ハイ、私も買いました。シャーリー・マクレーンの本。まあ言ってる事は大体今と変わらないんだけど、あれも一つの流行りでしたね。シャーリーは何というか、役者としても「そういう人」なのが、今過去作なんかを見ても微笑ましい限りですが、踊った人もそりゃもうたくさん居て、こういう歴史は繰り返して行く中の、私も塵芥のような一瞬で消える存在で、まあだからこそ好き勝手しようというわけじゃないけども具合が悪くなるほど悩んだり、過去の自分を掘り起こして自虐する趣味はそろそろストップしようかね、というところです。

最近、嫌な夢ばかり見ていたのに、今朝見た夢は、20代の頃やっていた習い事のレッスンをするため、レンタルの部屋を借りる夢でした。今日は何からやろうかしら、最近はずっとあれをやっているし…と思いつつ私は部屋に入るんだけど、目が醒めたらもう「それ」からは自主卒業して18年も経ち、その間復帰したいと思いながら一切再開出来なかったものでした。

さて。