50代の日常

半世紀生きてるオバサン

ドキドキの形

秋は過ごしやすいようで鬼門だ。
秋の物寂しさがどうとかより、季節の変わり目に年々身体がついて行けず、そういう意味では春も良くない。
でも、まあ、冬は冬でどうせ寒い寒いと文句を言うのだから、やり過ごすしかないと思っている。

何でもかんでもやり過ごすしか能がなくなっていくのを実感する度に年寄りになる情けなさを感じるが、そもそも若い頃だって毎日起きている間は常に意欲的だったわけでもないので、出来るだけ淡々と生きて行きたい。という気持ちだけで、相変わらず鬱っぽいのはもうどうしようもなく、毎日鬱と諦め、現実逃避とぐるぐるしている。

家の壁の補修は予定より早く終わった。
壁紙の下に石膏のような薄いボードが張ってあり、そのボードごと貼り替えた後壁紙を張り直してもらった。
予定より大幅に壁紙は貼り替えてもらったのだがあっという間だった。
思えば彼らは新築の時は何室もの壁紙を張ったりするのだろうし、賃貸は空きが出れば全部貼り替えになるだろうからさすがプロである。2人、いかにも親方っぽい風体の人と、どう見てもまだ20歳前後の若く内気そうな職人が叱られながら作業していた。頑張れ、君の未来に幸あれと思った。

さて、一日置いて、結局ある程度の本は本棚に戻した。
本棚は2つあって、1つは粗大ゴミに出す勢いで、マンガの類はネット買取にメールして送るだけになっている。
それでも、どうしても処分出来ない本が結構ある。いや私より夫の方が最近本が多い。
私には捨てろ捨てろと言う割に逆転している気がするが、むしろ要る要らないの判断が面倒なのかもしれない。

家族の本は適当に、自分の本は順番を揃えて戻した。
とある、さほど多作でもなくさほど有名でもない作家の本が好きで、コレクター性格でない私でもコンプリート出来る程度のものだが、もう亡くなってほぼ絶版になっている。しかしブックオフに持っていけば間違いなく0円、並べられるのは108円の棚だろうと思う。

いわゆる私にとっておそらく最後の「萌えネタ」がたくさん詰まっているのだが、自分でも再読する機会はあまりないような気がする。昔、古本屋で集めた大作マンガを、やっぱり古本なので売っても値段がつかないので再読する片っ端から破いてゴミ箱に捨てた。また読みたかったらセットで大人買いすれば良いと思っていたが、結局買ってない。

小説類も、多分そうなんだろうとは思う。
CDもそうだ。とあるジャズピアニストの音楽が好きで、やはりコンプリート出来るくらいのアルバムが売られていて、片っ端から集めていた。海外のAmazonじゃないと手に入らない物もあり、もし粗悪品が送られて来たらどうしようとドキドキしながら買ったりした。

CDも、他のプレイヤーのとかはよくディスクユニオンに行って買ったりした。ディスクユニオンは私が親しんだ古本屋に近い空気があって好きだった。名作も駄作もごっちゃに売ってるけど、名作のレア物は間違いなく高い。目利きがいて、やるなしかし掘り出し物を見つけてやる、という意欲がわく、それが古本屋に行く醍醐味だったように思う。

小説本は今は電子書籍があり、音楽も1曲づつネットで買える。
あんなに検索しては買い求めていたのに、とはあまり思わない。あの新しいものが手に入る時のドキドキが楽しかった。
本やCDはそのドキドキが形になったものだと思う。
だから家族が読んだり聞いたりしなくても、私がそれを開かなくてもいいのだと思っている。

ていうか、本当にここまでになるまで、相当のものを手放したり処分したり、相当葛藤して来たんだからね私。
でも、まあ、多分残りもそのうち、どっかで感想文でも書いたら処分するのかもしれない。