50代の日常

半世紀生きてるオバサン

老人の経験なし

前回の日記が5月15日で、てっきり記していたと思っていたのだが何も触れていなかった。

実を言うと連休前から、また実家の父親が入院していたのだった。

思えば、義父もその頃家を出て、高サ住へ一人移り住むという話をし出していて、結局一人で決めて来てしまってその後引越しに追われていたりしたものだから、一旦気持ちを落ち着けるために二人の父の人生に思いを馳せて、理解しようとしていた向きはある。義父は、義姉の一家と同居していたのだが、これももう語りだすと色々問題があり過ぎて、なので今回は私の父の話だけにする。


昨年末にも入院していたのだが、その時と同様、虚血性大腸炎というものらしい。緊急の手術を要するような病でもなく、また命の期限を告知されるような病気ではない。要するに腸炎だ。

しかし、入院時は腹痛を訴え下すわ吐くわ、昨年末の時は下血もあり、入院後数日は絶食、トイレはポータブルと言った状態。前回も、もしかしたらこのまま死んでしまうのでは、と思っていると、さすが病院というべきなのか回復して、前回は3週間、今回は前回ほどではなかったのだが大事を取って2週間ちょっとになった。

命の危機というほどではない反面、入院中は夜中は拘束されていたりする。看護婦さんも本人のいないところでそっと許可証を差し出して来たり、父本人にどう?と聞くと何ともない、と言うのだが、今回も見舞いに行ったら足元にセンサーマットが置いてあり、ああまたか…と思う。軽度の認知もあるにはあるが、大体はアルコール切れで禁断症状が出ているのだと思われる。人に従いたくない本人の性格もあるが、勝手に点滴の針を抜いて流血状態になったり、夜中病院から脱走しようとする。問題なのは記憶がないことで、恥の感覚でなかったことにしたい=認知の症状のか、アルコール禁断症状なのかがいまいち、看護婦さん、医師、ソーシャルワーカーと話していてもはっきりしない。

今回も、連休ということもあったり、主治医の先生が出張だったりで病状の説明がなかったり、突然退院になるかもしれないと看護婦から言われたりで、2週間の入院中で5回くらい行っているのだが、最初センサーマットだけだったのが、行くたびに夜中用の拘束バンドが置いてあったり、ミトンが追加になっていたりと、割とショックではある。だがすぐ慣れた。同室のお年寄りは寝たきりだったり、吸引してもらっていたりともっと大変な状況の人が多かったせいだろうか。

アル中については、酒量はもともと胃腸が弱いため、浴びるほど飲んで毎日潰れる、という飲み方はしておらず、ただ長年いわゆる「休肝日」というものが作れなかった。もっと若い頃から、休肝日は作るようには言われるくらいには肝機能も悪かったが、今も良くはないけど病気として治療が必要なほどではないのだ。

変な話になるがここが非常に厄介で、今年も認知症の診察を受けて先生の言うことには、認知症としては昨年からさほど症状は進んでおらず、アルツハイマーの疑いはあるが正直アルコールの影響での脳萎縮という認知症状であり、はっきり言うとアルコール依存症です、との事。昨年は、この年齢で依存症治療をするのは禁断症状なども辛いですから勧めません、と言われていたのが、今年は思い切って受けて見ますか?と言われてしまった。しかし、それも、たとえばもう少し認知症が進行していたら、本人も依存症治療も、介護サービス(一応要支援度2になっている)を受ける事も抵抗がないと思うのですが…と言われた。

私もその時、ああなるほど…と思ってから、なんかもう人間の生きている意味とは…?そこまでして生きつづける意味とは…?と思わなくもない。これで、父が依存症治療を受け入れたとして、認知症の進行も止まったとして、元々体を動かす事が好きではなく、さりとて読書や映画やドラマ鑑賞の趣味もなく、食欲もがっくり落ちてしまっている状態で、何か新しい楽しみが見いだせるとも思えず。

でも、そんな話をしたら、それは依存症患者に影響されていますよ、と先生から言われてしまった。確かに二言目には「いつ死んでも構わない、80過ぎまで生きたんだもう良いだろ好きにさせろ」で、最初はもう諦めの境地にいた母の前で、私くらいはしっかりしてないとと思っていたのだが、今回の入院中にストレスと禁断症状で母に暴言を吐きまくりな父に割とガツンと言ってしまってから、私の方が酷なことをしたかなぁ、と諦めた方がいいのかな…と思ってしまっていた向きもあった。

それでも、母も普段父には手を焼いてはいるものの、依存症の入院治療までさせたいとは思っていないし、もう好きにすれば良いと思ってはいるものの、診察から帰ってきてしょんぼりグッタリしている父を見ると、やっぱりちょっと可哀想になっちゃうのよね、と言っていた。

 

入院中、割と穏やかに話が出来た時に「お父さん、もう80過ぎたからってすぐ言うけど、もし100歳まで生きちゃったらこれから20年あるんだよ?でも今までみたいには行かないんだよ。どうする?」と冗談めかして問いかけてみた事があるが父は「そうだなぁ、そうだよなぁ」と笑ってはいたものの、考えたくもない様子だった。
実際、私もあまり考えたくない…と思いながら、今までの、幼い頃の頼れる父、若い頃の、実は苦労を重ねて頑張って生きてきたオッサンとしての父から、子供の前では親としてのプライドを保とうとして逆に疲れてしまっている感じの父を、娘の私自身がまた別の見方をしないとならないのだなぁ、と思った。

今は、年寄りはしょうがないなぁ…なんて思ってるんだけど、実を言うと自分の30年後はこんな風に子供に手を焼かれてるかもしれない、と思うようになった。だから気軽に酒を飲むのも止めたし、出来るだけ用がなくても時間の許す限り外出するようにしている。

母は割と丈夫で、精神的にも健全で毎週のカラオケの会を楽しみにしているが、そんな母でももう遠出はしたくないそうだ。年金で不自由ない暮らしをしているし、割とオシャレ好きで、差し歯にお金をかけて私より歯が綺麗だし、テレビCMで有名なかつらサービスでヘアピースを作ったり、高い化粧品を買ったりしていたが、そういうのも煩わしくなって高いヘアピースも最近は暑くて仕舞われたままらしい。化粧品はマツキヨの昔からある物に戻っていた。今は日常を生きるだけで精一杯、食事もそろそろ配食サービスを頼もうとしているという。

長寿社会になって、一億総活躍だの老害だの言われてるけど、言ってる側は老人になった事がないからなんだなぁ、と思う。誰もがそうだし、平和が長続きしていることで未曾有の悲しみ・寂しさに埋もれている人がいるんだろうなと思う。夫婦で一応元気でいる、父母もそうだけど、よく考えたら私もそうなんじゃないかという気がしたり。

まあそれも、50を過ぎると未来が限られていることが実感できるし、選択肢もガクンと減っていることも分かるから、若い頃みたいにそれがメンタルへ自傷的に来ることは少なくなったかな。