50代の日常

半世紀生きてるオバサン

さくら湯・二人の父

たそがれ時、「さくら茶」を飲んでいる。
富山出身の義父が、行って来たか田舎から送って来たかわからないが、富山名物「ますの寿司」を我が家にもお裾分けしてくれて、それになぜか「さくら茶」がついていた。

開封したうちの次女が「何これ。お茶じゃない、塩じゃん」と言った。
要は桜の花の塩漬けにお湯を注いで飲むのが「さくら茶」というもので、私の記憶では「桜湯」と言って、めでたい席で出されたりするものだった。

私が桜湯を知ったのは古い記憶で、未就学児だった頃、母親の妹たちが相次いで結婚式を挙げ、結婚式場なのかホテルなのか憶えていないが、そこで出されたお茶碗に花が浮いていて、飲んでごらん、と言われて飲むと塩っぱかった。

私は母方でも父方でも初孫で、叔母たちには可愛がってもらったので結婚式にも呼んでもらい、なんだか毎年のように行っていたので「今年は結婚式ないの?」と言った記憶がある。

 

 

義理の父も、私の父も83歳。

義理の父は戦後東京の親戚を頼って上京し何とか大学を卒業、義母と結婚後高度成長時代に転勤を繰り返し、今の住まいに落ち着いた。孫が大体成人近くなった頃義母は病死。そして今週末、一人高サ住に住み替えをする。

私の父は、祖父が戦没し祖母が女手ひとつで育て、祖母が後添えを迎えて子供が生まれたため、中卒で上京し職業を転々とし、会社付きの運転手からタクシー運転手になった。バツイチだが再婚した母と仲良く老人夫婦で住んでいるが、80過ぎて外出しなくなり、運動不足と軽い認知が出て今入院中。
(前回、かろうじて認知認定回避だったが、まあ時間の問題とは思っていたし思っている)

義母の病気が判明した時、その都度命の大体の期限を告げられながら過ごすのも辛かったが、二人の父のように、命に関わる病気でなく、しかし確実に老いて、努力しようにも思うようにならなくなって行く身体と脳の身内で毎日を生きて行くのもまた辛いだろうと想像する。

身内だからこそ心配している。身内だからこそ、少しでも長く生きて欲しいと思っている。
何しろ、親は自分を育てて来て、自分で憶えていない幼い頃の自分を知っている証人だ。
親を失うことは、自分が生まれて生きてきた重大な証人を失うことだ、と最近自覚したのは、私の両親が幸いにも生きているからだと思う。
(上記の通り正確に言うと私の「母」は生みの母親ではないが)

義父からもたらされた「桜湯」を飲みながら、私自身最初に飲んだ桜湯から、もうだいたい50年になるのだろうと思うと、やはりいちいち驚いてしまう。