50代の日常

半世紀生きてるオバサン

今頃「マトリックス」を見た

NHKBSで「マトリックス」を放映していたので、録画しておいたのを見た。
もう18年前?の当時、私は既にインターネットを始めていて交流のある個人サイトさんの日記などでレビューを読んで、面白そう、私絶対好きなやつだと思いながらも未見だった。

私は当時長女が赤ん坊で、その5年後に次女を出産して彼女らが保育園、小学校を卒業するくらいまでは映画館で映画を見るどころか、当時流行り始めて傑作もたくさん出た深夜アニメも映画もほとんど見る事が出来なかった。いや、やろうと思えばいくらでも手段はあったはずだが、当時はフルタイムで仕事もしていたため生活の優先度から娯楽、趣味と言った類のものはぽろぽろと抜け落ちて行ってしまう。

ともあれ、ようやくゆったりと「マトリックス」が見られた。
物語的には、この当時でこの今どきのソシャゲ的な展開は当時はやはり新鮮だったのではという気がした。でも多分、物語自体よりもゴージャスな画面やVFX、観念的な主題の方が話題になったのでは、と思う。VFXについては「マトリックス以前以後で映画は変わった」という評論は見ていたので、これが噂の…とは思った。これはもう、近年のもっと凝ったものを見てしまっているのだから仕方ない。

現実と仮想という問いが繰り返し出てくるのには興味を惹かれた。人間発電所は内心ねーよwと思いながらも、ハードSFの永遠のテーマでもあるAI対人間ネタが、人間発電所という見世物で表現されているならアリだと思った。何より、人体に電源というかバルブと言うか、何か人工的なものが埋め込まれている絵面ってショッキングなものですなぁ。アニメなんかでは抵抗ないのに、やっぱり生身の人間が出ている映画とはこういうものなんだと。この手の、特に主人公ネオが人間発電所のポッドを破ってから救出されるまでの場面、「生身の人間としては生理的にイヤな表現」が盛りだくさんすぎて目が離せなかった。

この映画の中の未来がいかにディストピアであるかを、2000年を前にした当時の人に伝えるあれこれが盛り込まれているのは確かにすごかっただろうな、とは思いました。

過酷な現実と思い通り理想が叶えられるヴァーチャルのどっちが良いか?というネタについては人類の永遠のテーマなんだろうけど、笑ってられなくなる時代がもう近い気がしている。ちなみにこの手のテーマに私が始めて触れたのは手塚治虫の「火の鳥宇宙編」のエピソードで、仮想現実に囚われている男が、主人公の説得も受けずにポッドに引きこもってしまう。主題は別なところにあってもっと壮大で、この場面がどうしても検索出来ていないんだけど確か宇宙編で間違いないと思う。それもあって、長らくゲーム否定派だったけど、仮にゲームじゃなくても物語に没入して現実逃避するのと何が違うのだろう、とはよく思っていた。いずれにしろ仮想現実やゲームの影響とかが話題になるたびについ思い出してしまう。

今思うことは、結局はいかに仮想現実が本物の現実と違いないくらいに感じられるテクノロジーが実現しようとも、生身の人体生理をコントロール出来るテクノロジーが出来上がらないうちには、生の現実を理想に近い形に持っていくしか明るい未来を描く事は出来ない。それをまあ幸福の追求っていうのかな?

なんて言い方が思わず哲学的な感じになったけど、たとえば胃もたれしている時にご馳走映像匂いつきなんて気分が悪くなるだけだろうし、頭痛や怠さがあるのにハイテンションで話しかけてくるVRのイケメンがいても鬱陶しいだろうという、この不自由な身体の中に設置されている脳である限り、身体の方が先だろうという下世話な話ですね。

結局は、この手の「仮想現実に逃避」ネタというのは、眠っている時の夢の方が近い気がする。それこそ、夢なんて機械文明以前から研究されていてもよくわかってない?らしいから、やっぱり映画のようなVRの時代はまだまだ先で、その前にディストピアの方が実現してしまいそう。

 

とか思いつつ概ね楽しんで見てたんですが、クライマックスでのヘリで高層ビルの外から銃乱射、には内心ちょっと醒めた。なんでハリウッドはコレが好きなんですかね…VFXの新しい手法盛りだくさんの映画の中でコレやらなくてもいいじゃん。ハリウッド大作のお約束だったのかな。

機械と人間、現実と仮想、盛りだくさんの仕掛けが売りの映画ながら、キアヌ・リーブスが一番イイ男の時に大ヒットしてよかったね、というのが一番印象に残ったのが後になって面白いなと思いました。トリニティ役のキャリー・アン・モスも青い目と思慮深い感じの表情が素敵でしたねぇ。結局は演じる生身の役者の旬を楽しむのが映画という娯楽であって、まあシチューの肉みたいなものでだけど肉だけじゃ美味しくないしね、というわけのわからない感想を持ちました。

肉は美味しい。そんな結論で良いのか 笑

ただ、「ブレードランナー」なんかも近年になってようやく見た名作映画なんですけど、ハリウッドの男性俳優ってそんなに良いか?って思う人多いんだよね…こと、こういうSFテクノロジーものだと頭が切れる主人公であって欲しいんだけど、割と脳筋みたいな役者多くない?キアヌ・リーブスはとても天才ハッカーには見えない。イケメンがハッカーとかあり得ないというわけじゃないけど、何というかある種のオタク臭を纏う演出をして欲しいとか思うんですよね…まあ個人的感想です。

さて、近々続編も放映されるのでいそいそと録画予約はしました。

鈍って楽になる

いやー、暑い。
ジブリアニメのような、青空が似合うからりと暑い陽気なら耐えられるが、ここ数日は曇天が続いて蒸し暑い。
そして、ジブリアニメのようなからりとした青空の夏の日なんて、実際は割とない。
いずれにしても、クーラーの部屋に逃げ込むのだけれど。

40代くらいから、季節の変化への対応能力が落ちた。多分、更年期もあったと思うし、個人差もあると思うのだが、私の場合微熱が出る。なんか怠いなと思って熱を測ると、37度ある。

30代くらいまではわりかし低体温気味で、36度3分くらいが平熱、風邪ひいた時はガーンと熱が上がる方だったので、最初の頃は、なんか悪い病気なのかも知れぬと思った。近くの大きな病院を受診したところ、37度くらいは微熱とは言いません。と、耳にピアスをいくつもぶら下げた女医さんににべもなく言われた。検査も一応してもらったがやはり何ともなかった。

しかし、怠くて食欲がなくなる。体の苦痛にストレスが溜まるのか、胃が痛くなって、春か秋のいずれかに、5年くらい毎年胃カメラ検査を受けていた。

今は大体慣れた。夏の入口、夏の終わり頃、夕方に微熱が出るようになったら無理しない。用事は夕方までに済ませる。大抵、日が暮れると嘘のように落ち着いて来るのも知っているので、それまでガマンする。対処するようになったら、胃の方も落ち着いて、検査もしなくなった。

本格的夏場、冬場になると夕方さほど熱が上がらないのは、やっぱり自律神経が季節に追いつけていないのだろうと思う。今は、季節の変わり目になるとキタキタ…と思うくらいで済ませるか、やっぱダメだ…と思ったら休む。

あとは、寝すぎと言われようが眠かったら眠れるだけ眠る。
寝溜めは良くないとか、夜眠れなくなるから昼寝はダメとかいう意見も気にしないで眠る。そういう時はいくら寝ても眠いので、ちゃんと夜も眠れる(私の場合は、だけど)。

でも、やっぱり季節が変わるたびに「これからもっと暑く(寒く)なるんだよなぁ、去年はどう過ごしていたんだろうか。今年も乗り越えられるんだろうか…」と思っちゃってますけどもね。


私は中学生くらいまでは視力が抜群に良くて、学校の集団検診で2.0までスラスラと字や◯の空きを言えて一緒に検診を受けている生徒がどよめく程だった(今は顕微鏡みたいなのを覗くやつだろうけど)けど、小心者が視力が良くても何もいい事がなかった。

向こうから歩いて来る人が知り合いだと早々に判ってしまうと、どういう顔で挨拶すれば良いのだろうと逡巡する。今話した友達がちょっとムッとしたらしくて、向こうへ行ってしまった後誰かと話していると、私の悪口を言っていないかいつまでも気にする。

単に視力の問題でもなく、いわゆる気にしぃ、なのだとは思うが、それでもパソコン時代になって視力がガタ落ちしてからは、やはり遠視気味だった頃は不必要にモノが見えて辛かったなぁ、と思った。今は逆に眼鏡がないとパソコン画面すら見えなくて不自由しているけど。

それと同じと言うつもりもないが、あまり感覚は鋭すぎない方が生きやすいような気がする。年を取って、失ったものの多さを自覚する負け犬の遠吠えかも知れないが、鈍くなってちょっと楽になり、年を取っても生きていける理由ってこれかな、と思ったりもする。

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命の期限=体験の期限

昨日の日記は長すぎた。

打ち直そうとしていたところへ、今度は夫からのLINEで検査にひっかかったという連絡が入った。
私の夫は自営業だが、ネフローゼを患っている。ネフローゼという病気は、例えば手すりのない長い長い橋の上を歩いているようなイメージがある。普通に渡ることは出来る。しかし、ちょっと油断すると橋から転げ落ちる。転げ落ちた先は増薬、それが続くとやがて透析というハンディが待っている。

夫は退院してから7年、一度の再発を経験してからは数値は比較的安定しているものの、毎回「次こそ減薬になるといいな」とか言ってるが、今回始めてクレアチニン値が標準枠を超えてしまい、再発でもないし自覚症状もないものの、来月も検査と相成ってしまった。

夫とは、アラサーの頃に知り合って結婚した。今年で結婚22年になる。
お互いにO型なので、イニシアティブを巡ってぶつかり合いする事も多かったが、お互い年を取ると相手に対する興味も失うようで、どうでも良くなった分平和な関係が続いている。

夫も人の話を聞かない向きがあったが、結婚した頃から読書は小説よりも啓発やマニュアル本の類で、ここ数年、最初は「うなずく」「相手の言葉を繰り返して同意を表す」とかのそれらの本にありがちな動作を実行するようになった。最初はまた始まったな、と思っていたのだが、彼も板についたのか、あるいは私もどうでもいい話をしなくなったのかどうなのか、話を聞いてもらえるというのは嬉しいことなのだと今は素直に思う。ただ、申し訳ないがその程度で「家族愛」とか「夫婦愛」という言葉はピンと来ない。

しかし、昨年の再発の時は、今思うと腹が立っただけだったのだが(なんでイイ大人で責任もあるのに自戒自覚できねーんだよという、そういうやつ)、今回はああ、下手すると死んじゃうんだ、今じゃないけどいずれ死んじゃうんだ、とそんな実感の芽生えがあった。

まあ、それもこれも実家の父のここ1年くらいが、トラブル続きでみるみる弱っているのを見ているせいかも知れない。以前、父は私の成長の証言者であるので、やっぱり失いたくないという気持ちがあると日記に書いたような気がするが、夫にも命の期限がある事を思うと、やはりこの家庭を一緒に作ってきた証言者なんだと思った。

正直、エゴだとは思う。父や夫自身の身を案じるより、私を構成する一つの要素として失いたくない、という事ではあるから。しかし、実際はそういうものなのではないだろうか?と思う。
まあ、もちろん、なるべく体調維持が出来るよう、家族として余計なストレスはかけないように振る舞って行くつもりではある。

そして、私が先に逝ってしまう場合もないわけではない。しかし、どうだろう?それだと誰かを失う不安や悲しみからは逃れられて、私が今最大の楽しみになっている眠りにずっと入る事が出来る。

でも、いざ死ぬとは経験の終わりだとと実感されてくると、いやもうちょっと…辛いことが多くても構わないから生きていたいかな、と思うのは不思議な感じがする。多分、あー生きて来て良かった!!と思えることなんざ、もうこれからの年代でそうそう経験することもないだろうし、普段からつまらん人生だったな、と思う事の方が多いのに。今ここで、死んでしまう=経験する事がなくなってしまうのは更につまらん。かと言って、これから数十年生きて「つまらなさ」が挽回出来るとも思えないのにな。

 

老人の経験なし

前回の日記が5月15日で、てっきり記していたと思っていたのだが何も触れていなかった。

実を言うと連休前から、また実家の父親が入院していたのだった。

思えば、義父もその頃家を出て、高サ住へ一人移り住むという話をし出していて、結局一人で決めて来てしまってその後引越しに追われていたりしたものだから、一旦気持ちを落ち着けるために二人の父の人生に思いを馳せて、理解しようとしていた向きはある。義父は、義姉の一家と同居していたのだが、これももう語りだすと色々問題があり過ぎて、なので今回は私の父の話だけにする。


昨年末にも入院していたのだが、その時と同様、虚血性大腸炎というものらしい。緊急の手術を要するような病でもなく、また命の期限を告知されるような病気ではない。要するに腸炎だ。

しかし、入院時は腹痛を訴え下すわ吐くわ、昨年末の時は下血もあり、入院後数日は絶食、トイレはポータブルと言った状態。前回も、もしかしたらこのまま死んでしまうのでは、と思っていると、さすが病院というべきなのか回復して、前回は3週間、今回は前回ほどではなかったのだが大事を取って2週間ちょっとになった。

命の危機というほどではない反面、入院中は夜中は拘束されていたりする。看護婦さんも本人のいないところでそっと許可証を差し出して来たり、父本人にどう?と聞くと何ともない、と言うのだが、今回も見舞いに行ったら足元にセンサーマットが置いてあり、ああまたか…と思う。軽度の認知もあるにはあるが、大体はアルコール切れで禁断症状が出ているのだと思われる。人に従いたくない本人の性格もあるが、勝手に点滴の針を抜いて流血状態になったり、夜中病院から脱走しようとする。問題なのは記憶がないことで、恥の感覚でなかったことにしたい=認知の症状のか、アルコール禁断症状なのかがいまいち、看護婦さん、医師、ソーシャルワーカーと話していてもはっきりしない。

今回も、連休ということもあったり、主治医の先生が出張だったりで病状の説明がなかったり、突然退院になるかもしれないと看護婦から言われたりで、2週間の入院中で5回くらい行っているのだが、最初センサーマットだけだったのが、行くたびに夜中用の拘束バンドが置いてあったり、ミトンが追加になっていたりと、割とショックではある。だがすぐ慣れた。同室のお年寄りは寝たきりだったり、吸引してもらっていたりともっと大変な状況の人が多かったせいだろうか。

アル中については、酒量はもともと胃腸が弱いため、浴びるほど飲んで毎日潰れる、という飲み方はしておらず、ただ長年いわゆる「休肝日」というものが作れなかった。もっと若い頃から、休肝日は作るようには言われるくらいには肝機能も悪かったが、今も良くはないけど病気として治療が必要なほどではないのだ。

変な話になるがここが非常に厄介で、今年も認知症の診察を受けて先生の言うことには、認知症としては昨年からさほど症状は進んでおらず、アルツハイマーの疑いはあるが正直アルコールの影響での脳萎縮という認知症状であり、はっきり言うとアルコール依存症です、との事。昨年は、この年齢で依存症治療をするのは禁断症状なども辛いですから勧めません、と言われていたのが、今年は思い切って受けて見ますか?と言われてしまった。しかし、それも、たとえばもう少し認知症が進行していたら、本人も依存症治療も、介護サービス(一応要支援度2になっている)を受ける事も抵抗がないと思うのですが…と言われた。

私もその時、ああなるほど…と思ってから、なんかもう人間の生きている意味とは…?そこまでして生きつづける意味とは…?と思わなくもない。これで、父が依存症治療を受け入れたとして、認知症の進行も止まったとして、元々体を動かす事が好きではなく、さりとて読書や映画やドラマ鑑賞の趣味もなく、食欲もがっくり落ちてしまっている状態で、何か新しい楽しみが見いだせるとも思えず。

でも、そんな話をしたら、それは依存症患者に影響されていますよ、と先生から言われてしまった。確かに二言目には「いつ死んでも構わない、80過ぎまで生きたんだもう良いだろ好きにさせろ」で、最初はもう諦めの境地にいた母の前で、私くらいはしっかりしてないとと思っていたのだが、今回の入院中にストレスと禁断症状で母に暴言を吐きまくりな父に割とガツンと言ってしまってから、私の方が酷なことをしたかなぁ、と諦めた方がいいのかな…と思ってしまっていた向きもあった。

それでも、母も普段父には手を焼いてはいるものの、依存症の入院治療までさせたいとは思っていないし、もう好きにすれば良いと思ってはいるものの、診察から帰ってきてしょんぼりグッタリしている父を見ると、やっぱりちょっと可哀想になっちゃうのよね、と言っていた。

 

入院中、割と穏やかに話が出来た時に「お父さん、もう80過ぎたからってすぐ言うけど、もし100歳まで生きちゃったらこれから20年あるんだよ?でも今までみたいには行かないんだよ。どうする?」と冗談めかして問いかけてみた事があるが父は「そうだなぁ、そうだよなぁ」と笑ってはいたものの、考えたくもない様子だった。
実際、私もあまり考えたくない…と思いながら、今までの、幼い頃の頼れる父、若い頃の、実は苦労を重ねて頑張って生きてきたオッサンとしての父から、子供の前では親としてのプライドを保とうとして逆に疲れてしまっている感じの父を、娘の私自身がまた別の見方をしないとならないのだなぁ、と思った。

今は、年寄りはしょうがないなぁ…なんて思ってるんだけど、実を言うと自分の30年後はこんな風に子供に手を焼かれてるかもしれない、と思うようになった。だから気軽に酒を飲むのも止めたし、出来るだけ用がなくても時間の許す限り外出するようにしている。

母は割と丈夫で、精神的にも健全で毎週のカラオケの会を楽しみにしているが、そんな母でももう遠出はしたくないそうだ。年金で不自由ない暮らしをしているし、割とオシャレ好きで、差し歯にお金をかけて私より歯が綺麗だし、テレビCMで有名なかつらサービスでヘアピースを作ったり、高い化粧品を買ったりしていたが、そういうのも煩わしくなって高いヘアピースも最近は暑くて仕舞われたままらしい。化粧品はマツキヨの昔からある物に戻っていた。今は日常を生きるだけで精一杯、食事もそろそろ配食サービスを頼もうとしているという。

長寿社会になって、一億総活躍だの老害だの言われてるけど、言ってる側は老人になった事がないからなんだなぁ、と思う。誰もがそうだし、平和が長続きしていることで未曾有の悲しみ・寂しさに埋もれている人がいるんだろうなと思う。夫婦で一応元気でいる、父母もそうだけど、よく考えたら私もそうなんじゃないかという気がしたり。

まあそれも、50を過ぎると未来が限られていることが実感できるし、選択肢もガクンと減っていることも分かるから、若い頃みたいにそれがメンタルへ自傷的に来ることは少なくなったかな。

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さくら湯・二人の父

たそがれ時、「さくら茶」を飲んでいる。
富山出身の義父が、行って来たか田舎から送って来たかわからないが、富山名物「ますの寿司」を我が家にもお裾分けしてくれて、それになぜか「さくら茶」がついていた。

開封したうちの次女が「何これ。お茶じゃない、塩じゃん」と言った。
要は桜の花の塩漬けにお湯を注いで飲むのが「さくら茶」というもので、私の記憶では「桜湯」と言って、めでたい席で出されたりするものだった。

私が桜湯を知ったのは古い記憶で、未就学児だった頃、母親の妹たちが相次いで結婚式を挙げ、結婚式場なのかホテルなのか憶えていないが、そこで出されたお茶碗に花が浮いていて、飲んでごらん、と言われて飲むと塩っぱかった。

私は母方でも父方でも初孫で、叔母たちには可愛がってもらったので結婚式にも呼んでもらい、なんだか毎年のように行っていたので「今年は結婚式ないの?」と言った記憶がある。

 

 

義理の父も、私の父も83歳。

義理の父は戦後東京の親戚を頼って上京し何とか大学を卒業、義母と結婚後高度成長時代に転勤を繰り返し、今の住まいに落ち着いた。孫が大体成人近くなった頃義母は病死。そして今週末、一人高サ住に住み替えをする。

私の父は、祖父が戦没し祖母が女手ひとつで育て、祖母が後添えを迎えて子供が生まれたため、中卒で上京し職業を転々とし、会社付きの運転手からタクシー運転手になった。バツイチだが再婚した母と仲良く老人夫婦で住んでいるが、80過ぎて外出しなくなり、運動不足と軽い認知が出て今入院中。
(前回、かろうじて認知認定回避だったが、まあ時間の問題とは思っていたし思っている)

義母の病気が判明した時、その都度命の大体の期限を告げられながら過ごすのも辛かったが、二人の父のように、命に関わる病気でなく、しかし確実に老いて、努力しようにも思うようにならなくなって行く身体と脳の身内で毎日を生きて行くのもまた辛いだろうと想像する。

身内だからこそ心配している。身内だからこそ、少しでも長く生きて欲しいと思っている。
何しろ、親は自分を育てて来て、自分で憶えていない幼い頃の自分を知っている証人だ。
親を失うことは、自分が生まれて生きてきた重大な証人を失うことだ、と最近自覚したのは、私の両親が幸いにも生きているからだと思う。
(上記の通り正確に言うと私の「母」は生みの母親ではないが)

義父からもたらされた「桜湯」を飲みながら、私自身最初に飲んだ桜湯から、もうだいたい50年になるのだろうと思うと、やはりいちいち驚いてしまう。

ボケるとトラウマが発覚する

昨年、私の父は色々大変で、もうこのまま介護まっしぐらになるのではと思うほど危なかった。

年明けて、無事に83歳の誕生日を私と、妹の家族と迎えて、昨年申し込んだ介護認定調査でもめでたく「介護必要なし」との判定になりそうだ。何が原因になったかというと、平たく言えばジジイ同士の人間関係によるストレスだ。

80過ぎてもそんな事で命の危険に関わりそうになるのもどうかと思うが、80過ぎても傷ついたメンタルから回復出来るんだー!というのにも結構びっくりした。

メンタルと認知症の関係は、昨年様々な人に聞いて回って深い相関関係があるとは思ったが、単に私が知らなかっただけなので省略する。

父が無事回復したのには、ひとえに母のおかげではある。母も昨年80歳を迎え、私も妹もやや離れて暮らしているので両親揃って、年金生活者としてまあまあ不自由なく過ごせている幸運を噛み締めている。

で、その昨年の話であるが、母から「お父さん、もしかしたらボケたかも」という連絡があり、その内容というのは誰もいないのに母のところに質問しに行ったり、夜中に近所でお世話になった人に電話をかけたりという事が重なったらしい。

で、介護調査員さんの聞き取りの際、どうも父は10代の頃に、下宿先の家主が強盗に入られて殺されたというのがトラウマになっているらしい。その恐怖体験についてはその時に知ったわけではなく、子供の頃から「お父さんはなぁ…」と聞かされていて、戸締まりと用心についての教育として聞いて以来オトナになっても何度も聞かされていたのだが、それがいわゆるまだらボケ行動の要因とは結びつかなかった。

という話を、妹にしたところ、母もそう言えば夢とウツツの区別がつかなくて、寝ている布団の足元に小動物がいる…と言い出して、これはこれで父が「すわボケたか」と思ったという話を聞いていたらしい。

で、妹と話していて、おそらく母のトラウマがネズミとかなんじゃないか、という結論に落ち着いた。そう言えば、母はまだ若かった頃にお蕎麦屋さんで働いていて、ちょっと前の飲食店というか、今も古い飲食店で働いた事のある方なら一度や二度は「ネズミとG恐怖体験」というものをしているらしい。

私は飲食店で働いたことがないが、夫が学生時代にカフェバー(年代を感じる)で働いていた時に、いくら対策してもネズミが出て、アレは本当に恐怖らしい。確かに虫よりもネズミの方が「肉体」感があって怖い。思えば家には私が好きで「動物のお医者さん」があったのだが、割と私の持ち込んだコミックを読む夫も、あれは読まなかった。二階堂のことを誰も笑えないのだ。

話が逸れたが、そういう根強いトラウマを取り払うのは難しい。今の住まいは昔と違って早々に入れるような仕組みではないし、私が憶えている限りでも家にネズミが出た事はない。しかし、父は戸締まりについては確かに用心深かったし、母はごみ処理とか掃除に余念がなかった。時代が変わって大丈夫、と思っても、根付いた不安は日常の用心にとって大事な保険になるとも言えるが、年老いて来ると妄想と現実の区別があいまいになる分、ボケ症状の発端になるという事なのかも知れない。

そういう意味では、よくオタクネタで「年取って妄想を口走ったらw」(この場合の『妄想』はいわゆる二次創作的なアレ)とか言うが、多分もっと切実なトラウマが露呈する方が先だから、そっち方面の恥を晒す事はあまりないような気がする。そもそも年取るとソッチの妄想意欲は薄れるし。

さて、そんな両親の危うい話を聞いていて「わかる」と思った時に私のトラウマになっている恐怖体験と言うのは、トイレネタだ。今だに時々、トイレに行きたいのに汚く古いトイレに行かざるを得なくて困惑する夢を見たりする。

そう思うと私がボケた時は今の両親よりも深刻な気がする。

子供の将来とか

次女の中2期末テストが終わり、まだ最終的評価は出ていないものの、おそらくは「あまりワクワク出来ない」状態の成績になりそうだ。

別に我が家は教育意識高い家庭じゃないと思うが、未だに借家住まいで収入の安定しない自営業なのでなるべく教育にお金をかけたくないと思う。思うのだが、親としてのゴールは「国公立大学」という考えで長女はそのコースになった。高校は私立だったが、大学受験への意識がとても高いところで(と言っても、もちろん御三家とかそういうやつではない)、結果的には予備校にも行かなかったし、図書館で勉強するという習慣が身についた。

でも、それで良かったかどうか私にはわからないのだ。長女の大学は試験やらレポートが多く、ようやく春休みに入れて単位取得にもシビアだと感じる。国からお金を貰っている学校とはこういうものなのか、と思う。本人は院まで行くかわからない、と今の時点では言っているが、学部生の半数以上は院へ行くことを望み、もう研究室のリサーチが始まっていて、2学年からコース分け、その延長にある人気研究室を巡って熾烈な?戦いが始まるようである(よくわかってない)。

ウチは二人共娘なので、長女のそんな受験からのちっともチャラチャラしていない大学生活を見ていると、本当にこれで良かったのかなぁ、と思う。次女はこれから高校受験だが、もちろん長女のように頑張って欲しいが、性格的に長女ほどの好結果は得られないように思っている。

長女の方が優秀ということではないし、勉強以外の事になると長女は割とあらゆる事をほったらかしで、どれだけ散らかっていても平気だし、私から見ても喪女まっしぐらなのでは…という心配もある。私がそーいうオンナだったので、まあ何とかなるだろうし結婚出産が幸せだったかどうか、未だにわからないし後悔することもしょっちゅうだけど。

そして、何よりも私自身年を食って、色々と意欲が衰えているし、長女の大学受験を経て、なんか自己犠牲意識が自分でもびっくりするくらい強くなってしまっていて(実際、何でこうなった!と今でも思うのだが)昨年自主的にリセットしてからは次女にはあまり長女ほど言えないというか、言ってもしょうがないのかもなぁ、と懐疑的になってしまっている。

まあ、高校でまた学費がかかるんだろうから、そこはこれから私もプレッシャーをかけていくんだろうとは思うけど、私の場合プレッシャーを家族にかける時、私自身が割とパニック寸前なのである。それが結構つらい。

私自身は高卒だし、人生を振り返ると、なんだかんだで渡りに船が来てそんなに酷くない状態で暮らせているとは思う。人生なんとかなるもんだ、と思いつつも、やっぱりもっとこうすれば良かった、大学にも行きたかったとかそんな思いから、自分の体験を超えるケアを家族にしようとする時、見返りを望んでしまうのかもねぇ。

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